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08月26日(日)

ジャンプ全漫画レビュー未遂

 なんとなくジャンプで現在連載中の漫画全てをレビューしてみようと思いました。何故唐突にそんな事をするのかと言うと、もちろんネタが無いからです。ですが結局特に何も書くことが思いつかない漫画があったので未遂となりました。

 ちなみに 感想が無い=嫌い、というわけではないので注意。その逆も然り。

【アイシールド21】

 この漫画を面白くしている理由の一つは、「比較」の上手さではないかと思います。例えば2巻から引用。

0点に抑えれば1点だけでも勝てる! アメフトで大切なのは防御(ディフェンス)だ!

99点取られようが100点取りゃ勝つんだよ アメフトで大切なのは攻撃(オフェンス)だ!

 この短い対照的な台詞に、両チームの特徴が如実に現れています。他にも同じく2巻の『紙クズ2枚』のエピソードとか、「比較」によってキャラクターやチームを上手く立てています。

 「比較」の上手さは 別に良い漫画の必要条件ではありません。しかし、比較無しにキャラクターを立てようとすると、どうしても非常に特徴的なキャラクターばかりになり、結果として破綻してしまいがちです。特徴的なキャラクターばかりでも上手くやっている漫画も一応はありますが、それには作者の余程高い力量が必要です。(その代表例は言うまでもありませんね。どうしてもどの漫画の事か判らない人は「全員狂人」でぐぐれ。)しかし比較が上手ければ、「特徴が無い」事すらも「特徴」となるのです。

【ONE PIECE】

 ホネの人は仲間にはならない気がしてきました。だってゾロと剣士キャラが被っている上、能力的にはだいぶ下という事が判明してしまったわけで。好きなキャラなので仲間になって欲しいんですけどねぇ。

 …というか、「好きなキャラ」なのに何故名前が思い出せないんだ私は。もうボケか。

【BLEACH】

 「BLEACH = ロシア文学」説。

 いや、単に登場人物の名前が覚えられないというだけの共通点ですが。ジョジョにおいては山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)とか稲妻十字空烈刃(サンダークロススプリットアタック)とかを振り仮名無しでも余裕で読める我々ではありますが、この漫画において 名前の判明してる十刃の名前や「葬討部隊」とかの読み方を全部言える人がどれほどいるものか。絶対作者も覚えてなくて 机に付箋メモとか貼ってるよ!

【銀魂】

 どうでもいいですけど33号の話(山崎が潜入捜査をする話)、てっきり続くのだと思っていたら次号で別の話が始まって困惑しました。偶然にも同じ号の「テニスの王子様」で 唐突に聞いた覚えの無い「手塚ファントム」という単語が出てきて(実際にはその前話で出ていましたが、「くず鉄作りの海」のくろがねさんも気付かなかったようなので、同様に気付かなかった人は多いのではないかと思います。手塚ファントムは名前からしてファントムです。)、「あれ?ジャンプ一週読み忘れた?」と焦ってしまいました。

【魔人探偵脳噛ネウロ】

 アニメ化ですよ、アニメ化!

 …と喜んでみましたが、実はアニメにはあまり興味がありません。元々テレビ自体あまり見ないタチですし、どうせ観たところで「声がイメージと違う!」とか「あのシーンをカットするなんて…」などとばかり思ってしまうことでしょう。

 では何故アニメ化を喜ぶのか?…答えは簡単。ジャンプ漫画はアニメ化されると、高い確率でゲーム化もされるからです。そしてネウロがゲーム化されるとしたら、ゲーム内のミニゲームなどの形で、あの笑いあり涙ありの大作「殺人兵器 丸ロボ」が実現される可能性があるという事です。

 あと丸ロボほどではありませんが、「股さきゲーム」もゲーム化されて欲しいところです。残念ながら現在この世界にはデュアルタッチペン搭載のゲーム機は存在しないので完全な再現は不可能ですが、Wiiのコントローラー二つを使えば一応の再現は可能です。もうここまでゲーム化されたらWiiごと買いますよ!

【ぼくのわたしの勇者学】

 下ネタに頼らないギャグ漫画は久々なので個人的に応援。ほら最近はもて王とかペンギンとか下ネタの多いギャグ漫画ばかりだったじゃないですか。(別に嫌いだったわけじゃないですけど。)

【テニスの王子様】

 しまった…下ネタに頼らないギャグ漫画がずっと前からあったじゃないか…

 下ネタにも頼ってるじゃないかって?いやいや、それはあの漫画の本質を理解していない発言です。テニスの王子様は、ギャグじゃないシーンがギャグとなる逆説的な漫画です。つまり逆にテニスの王子様におけるギャグシーンは実はギャグではなく、きっと深い哲学的な意味とかが隠されているのです。そんなわけでテニスの王子様は「下ネタに頼らないギャグ漫画」でよいのです。

【瞳のカトブレパス】

 この漫画 絵的には各所で散々言われている通りジョジョですけど、その他の点はBLEACHに近いような気がします。(ネーミングセンスとか。)

【ベルモンド】

 拷問が現実離れしすぎていて「拷問」という感じではなくなっているというかなんというか。

 喩えるなら、敵を刀で両断して臓物がドバーッと飛び散ったと思ったら、実はその敵はサイボーグで 臓物と思ったのは機械やコードだった感じというか。…うん、相変わらず喩え話が下手ですね。まぁとにかくそんな印象を受ける漫画です。

 ところで読み切りの時から言われていましたが、この漫画 どこかジョジョっぽさがありますよね。つまり結論としては「作:石岡ショウエイ・画:田中靖規」の漫画が読みたい。

【D.Gray-man】

 ここで一句。

下書きで
載せる漫画が
また増えた

(季語無しオチ無しイミ無し)

【まとめ】

「まとめ。そうねえ。HUNTER×HUNTERが再開されるらしいけど、H×HとNARUTOとD.Gray-manが全部下書きで載ったら大爆笑だよね。」
「そうですね。」

08月29日(水)

今週のテニスの王子様と相対論の夜明け

 「下ネタに頼らないギャグ漫画は久々なので個人的に応援」と書いた翌日に酷いよ麻生先生

 

 さて、そんな事はさておき今週のテニスの王子様。2回見開き大ゴマがありましたが、その2回とも大爆笑でありました。


 ちょっとこのサイズでは判らないでしょうが、「ったく雑魚じゃ歯応えが無さすぎるぜ!!」「噛みつく赤い閃光!!」という凶悪な台詞・煽りに反して

 何このムカつくくらいにサワヤカな笑顔

 ここだけ見せたら主人公か何かだと思ってしまいそうです。とてもクラウザーさんを血祭りにあげるような悪魔には見えません。台詞・煽りと この笑顔のあまりのギャップが素晴らしい。現代芸術かくあるべしという見本ですね。

 

 対して、2番目の見開きは実にシンプルです。


どーん

 

 …さて、この見開きに思わず大爆笑してしまったわけですが、冷静になって見ると この2番目の見開きの内容に疑問が生じてきました。

 見ての通りこのコマでは、乾と海堂が「衝撃そのものに包まれる」ような表現が使われています。これは今までの多くの強力な技――例えば波動球や「侵略すること火の如く」――には見られない表現です。つまり、そうした技のような 単純な「威力の大きさ」とは違う何かがこの一球にはあるのです。

 漫画においてこうした「衝撃に包まれる」表現がよく使われるのは、「電撃」です。確かに一流のテニスプレーヤーともなれば、なんらかの方法でボールを帯電させる事など赤子の手を捻るようなものでしょう。しかし、電撃を喰らったとするには 乾・海堂に火傷が見当たらず不自然です。

「シグルイ」第三十四景 竹槍
(左)謎の攻撃を喰らった乾・海堂。火傷は見当たらない。 (右)電撃を喰らうと普通はこうなります。

 つまりこれは電撃ではありません。そこで思いつくのが「オーラ」です。テニプリにおいてはオーラは漫画的表現ではなく実際に目に見える、すなわち実体を持つ存在である事が判明しています。切原はこの「オーラ」をラケットの振りに乗せて、乾・海堂に向け一気に放出したのではないでしょうか。

 …しかし今まで、「オーラ」は目に見えこそすれ 単に強い力・能力を持つ人の周囲に現れるだけの存在だと思われてきました。ですがその常識が破られてしまったのです。オーラは(さながらH×Hにおける放出系念能力の如く)術者の体から放出させ、当たった者にダメージを与えられるような存在であったのです。

 

 突然ですが、一口に「物理学」と言っても その中には様々な専門分野が存在します。素粒子物理学、宇宙物理学、統計物理学、etc…しかし中でも今最も注目されているのは、斯く言う私も属する「超テニス物理学」である事は皆様も知るところかと思います。

 ところで、19世紀の終わり頃 多くの物理学者は「物理学はほぼ完成した」と考えていました。あとは様々な物理定数や物質定数をできるだけ正確に測定するだけで、あらゆる事象を既存の法則を用いて説明できると思われていたのです。

 当時の多くの物理学者は、物理学の完成を夢見て様々な観測実験に熱を上げていました。…しかし私が思うには、物理学が「完成」という終焉に到達する事に 恐怖にも似た閉塞感を感じていた物理学者もきっと大勢いたに違いありません。

 そんな中、マイケルソン・モーリーの実験により「光速度不変」という従来の物理学では説明できない現象が提示されました。そしてアインシュタインによる相対性理論の提唱。相対性理論から漏れ出す物理学のさらなる深淵に、物理学の完成を心待ちにしていた物理学者達はさぞかし絶望したことでしょう。しかし物理学の完成を恐れていた物理学者達には、相対性理論によって切り開かれた新たな物理の世界は、祖国を追われやってきた開拓民の目に映る新大陸アメリカの如く 希望に光り輝いて見えたことでしょう。

 さて最近、超テニス物理学界において「手塚ファントムの解釈」を巡り、物理学史上 1935年のEPRパラドックスの議論に次ぐのではないかと言われる大きな議論が巻き起こりました。その詳細はコミック/テニスの王子様/手塚ファントム - Woshare Wikiのリンク先に譲りますが、単純な二分法をするならば「『古典テニス学派』と『新古典テニス学派』の戦い」であったと言えましょう。

 最終的に 古典テニス学派のリンドウ氏・いずみの氏の「古典テニス学的見地による手塚ゾーン・ファントム解明」が最有力説ではないかと目されるようになりましたが、「手塚ファントム=コリオリの力 説」を説いていた私はその事に絶望しました。…自らの説が否定された事にではありません。従来の超テニス物理学では解釈できないと思われた現象が 結局古典テニス学的立場から解釈可能であると示され、広がると思われた超テニス物理学の世界が 逆にまた一歩「完成」という終焉へと向かってしまった為です。

 しかしこの度、明らかに従来の超テニス物理学に反する現象が観測されたのです。「オーラは放出できる」。これはいかなる古典テニス理論をもってしても解釈不能でしょう。これから超テニス物理学は、かつての相対論の如き新たな世界へと入っていくのです。相対論のもたらした物理学の夜明けは、後に物理学の発展に大きな寄与を残す多くの新鋭物理学者を生み出しました。同様に、これからの超テニス物理学を支えるのは私のような老兵ではなく、これから超テニス物理学の世界に入る人々――もしかしたら、そう、あなたなのかもしれません。