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05月1日(火)

ちょっと変わった視点からFirefoxをオススメしてみる

 現在私はブラウザにFirefoxを使用しているのですが、これがなかなか便利です。以前は重たい印象が強くてあまり使っていませんでしたが、新しいPCになったら重さは殆ど気にならなくなり、今まで重さの影で見えてこなかった利点が見えてきました。

 ところで巷のFirefox紹介文で書かれている『Firefoxの魅力』は、「セキュリティが高い」(ええー拡張機能の事を考えるとむしろ低いのでは?)とか「CSSの表示のされ方が正しい」(確かにそうですけど、IEのみで表示確認しているサイトでは逆に表示が乱れる罠)などの微妙なものを除けば、殆どが「この拡張機能を入れると非常に便利」というもので、それはそれでFirefoxに移行する際に役に立ちましたが、同じような内容ばかりで食傷気味な感が否めません。

 そこで、あまり見かけない視点からFirefoxをオススメしてみようと思います。はっきり言って拡張機能の話と違い 多くの人にFirefoxに興味を持たせるような話ではありませんが、ごく一部の人にでも Firefoxに移行してみようかと思わせる内容になればと思います。

 

 まず最初に結論から言うと、私がFirefoxをオススメする点は「簡単に複数の設定を作れる」事です。

 他のブラウザでも「ユーザごと」に設定を持てるものは多いですが、それでは別の設定を使いたくなった際に わざわざユーザを切り替えねばなりませんし、何より「同時に」複数の設定を使う事ができません。

 では、複数の設定を使えると何が便利か?

 殆どのタブブラウザが「起動時に前回終了時の状態を復元する」という設定を持っている以上、この設定を使っている人は多いのでしょう。かく言う私もその一人。毎日見るようなページや後で読もうと思ったページを開きっぱなしにしていたところ この間見たらページ数が60とか無茶苦茶な事になっていました。

 そんなに大量のページを開くとなると、当然ながら起動が遅くなります。普段はまぁ仕方ないかと諦めていますが、問題は(まだブラウザを起動していない状態で)「ちょっとだけ調べ事をしたい時」です。ちょっと調べ事をしたいだけなのに、それとはまったく関係の無い大量のページが開かれるのをじっと待たねばならないのです。

 その時だけ別のブラウザを使うという手もありますが、普段と操作性が違うので使いにくかったり。そこで複数の設定を使えるFirefoxの出番です。通常用の「起動時に前回終了時の状態を復元する」設定のほか、Google等をホームページに設定した調べ物専用の設定を作っておけばいいのです。

 他にも、「特殊な状況でのみ活躍する拡張機能」についても同様です。例えばFirebugという拡張は 「ウェブページを作る時」には役に立つのですが、普段のネットサーフィンには殆ど役に立ちません。そして無駄な拡張は ただでさえ重いと言われやすいFirefoxをさらに重くする原因になります。

 そこで複数設定です。開発用の設定を別に作り、そこにFirebugを導入すればよいのです。同様に、Gmailやはてなやmixiなど 特定のサイトのみを便利にする拡張がありますが、これもそのサイトのみを専用に使うための設定を作ればいいのです。

 

 では、実際に複数設定を使う方法について。といっても人任せ。

 ただ、この方法だけでは 複数プロファイルを「同時に」使う事ができません。そこで以下のページの方法を使います。

 これで複数の設定のFirefoxを同時起動できます。…が、ただでさえ設定に時間がかかるFirefoxで、複数の設定を全て一から作るのは途轍も無く面倒な作業です。しかも、たとえ複数の設定を使うといっても「どの設定においても必ず入れる拡張」というのが結構ある筈で、同じ拡張を何度もインストールして設定して…というのは無駄にも程があります。

 そこで、「Basic」などの名前で「基本となる設定」を作っておき、新たな設定を作る際には その基本設定をコピーしてやります。設定のコピーと言うのは、プロファイルフォルダの中身を丸々コピーしてやるだけで可能です。Basic設定のプロファイルフォルダは初期設定では「%AppData%\Mozilla\Firefox\Profiles\[ランダムな文字列].Basic\」にあるので、その中身を「%AppData%\Mozilla\Firefox\Profiles\[ランダムな文字列].[新たに作った設定名]\」の中にコピーして下さい。これによってかなり複数設定の作成が楽になる筈です。

 

 正直言って、Firefoxは万人にオススメできるものではないと思います。特にカスタマイズに時間がかかる(そしてカスタマイズしないと使い物にならない)という点が大きく、それが嫌な方は OperaとかIEコンポーネントブラウザ(Sleipnir等)を使った方がいいでしょう。

 しかし、合う人にはとことん合うブラウザでもあります。とりあえずは使ってみないことにはなかなか良さは伝わらないと思いますので、興味を持った方は試してみてはいかがでしょうか。

※ 複数設定の作成以上に人を選ぶ話なので余談。Firefoxは「一台のPCに複数OSを入れている」人には恐ろしく便利です。設定の保存先を共通の場所にしてやる事で、何から何まで(例えばブックマークだとか表示履歴だとか)「完全に同じ」環境を複数OSで使用する事ができます。さすがに一部のOSに依存する拡張が使えないという欠点はありますが、それを除けば今のところ特に問題無く使えています。

基本設定に入れているFirefox拡張

 上で書いた通り「この拡張機能を入れると非常に便利」的な話は 食傷気味ではあるけれども移行時等には役立つので、私が基本設定に入れている拡張を挙げておきます。上のものほど私の中で重要度大。

Tab Mix Plus
 タブ周りを色々と拡張。これが無いFirefoxは考えられないくらい便利。ただ、設定できる事が多すぎて結構面倒でもあります。
All-in-One Gestures
 マウスジェスチャ拡張。Firefoxに限らずマウスジェスチャは一度使い始めると非常に便利です。まぁ使っているジェスチャは「戻る(←)」「進む(→)」「閉じる(↓→)」の三つだけなんですけど。ジェイルハウスロックの攻撃を受けているので三つまでしか覚えられません。
NoScript
 JavaScriptやJava、Flash等を必要な時・サイトでのみ有効にしてくれる拡張。別に普段からJavaScriptオンで構わないという人にはまったくいらない拡張ですが、私はこの手の機能は必要な時だけオンにしたいタチなので必需品。
keyconfig + functions for keyconfig
 ショートカットキーを変更する拡張と、それをさらに機能強化する拡張。どちらかといえばキーボード派なので必需品。Operaっぽくいじってます。
Drag de Go
 ドラッグ機能拡張。例えば文章中に知らない単語が出てきた時、普通は「その単語を選択 → コピー → 検索欄に貼り付け」という手間が必要ですが、この拡張があれば「その単語を選択 → ちょっとドラッグ」で可能。他にも色々便利。
Link Widgets
 「次の文書」「前の文書」等へ簡単に移動できるようにする拡張。これが便利なのは、「URLからの推測」も行ってくれる点。例えば『10.png』という画像を見ている時に「次」に行くと『11.png』を表示してくれます。
Text Link
 http://massacre.s59.xrea.com とか ttp://massacre.s59.xrea.com のような「リンクが張られていないURL」を、ダブルクリックするだけで開ける拡張。同種に「リンクが張られていないURLに自動的にリンクを張る」タイプの拡張がありますが、元のページを書き換えないこの拡張の方が好き。
Menu Editor
 右クリック(MacだとControl+クリック)した時のメニューをいじる拡張。拡張を沢山入れていると右クリックした時のメニューが大量になってしまうので、不必要なものはこの拡張で消します。
XHTML Ruby Support
 標準ではIEでしか表示できない「ルビ」を表示できるようにする拡張。
All-in-One Sidebar
 普通のFirefoxは「ダウンロード状況」などをウィンドウで表示するのですが、それをサイドバーに移す拡張。

必ずではないですが、設定によっては入れる拡張。

ScrapBook
 ページを手軽に保存・管理できる拡張。非常に便利。
Greasemonkey
 一言では説明しにくいですが、ページを色々と書き換えるための拡張。Greasemonkey - Mozilla Firefox まとめサイトあたりを見れば便利さがわかる か も。

他にもありますが、まぁこの辺りで。

Firefoxを広める方法

 Firefoxの欠点は、やはり一番は「カスタマイズに時間がかかる」点だと思います。(「重い」というのも欠点でしょうが、それはマシンが高速化していけば自然と解決する問題でしょう。)

 スラッシュドット ジャパン|今、改めて問う、Firefoxを日本で普及させるには?で「あらかじめ幾つかの便利な拡張を入れた状態のFirefoxを配布してはどうか」という意見が出ていますが、確かにそれは一つの解決策だと思います。しかし、それだけでは足りないと思うんですね。それまでIE6を使っていた人と、OperaやIEコンポーネントブラウザを使っていた人では、求めるものがだいぶ違ってくると思うのです。前者に沢山の拡張を入れたFirefoxを渡しては混乱するだけでしょうし、後者にしても 使用していたブラウザによってどんな機能が欲しいか / どんなデザイン / どんなショートカットキーが良いかは違う筈です。

 そこでこの意見を一歩進めて、こんなものは作れないでしょうか。簡単に言うと「Firefoxインストーラ作成ソフト」といったもので、そのソフトを実行すると、その環境にあるFirefoxの設定を元に「インストーラ」を生成します。その「インストーラ」自体にはFirefoxや拡張そのもののデータは入っていないので、ファイルサイズが小さく誰でも簡単に公開したりメールで送ったりできます。そしてそのインストーラを実行すると、自動的にFirefox本体や拡張をダウンロードし、さらに設定も行い、「インストーラ」を作った環境と同じ状態を作り上げてくれます。

 Firefoxを新たに使い始めようとする人の大半は、何らかの「口コミ」によってFirefoxに興味を持ったのではないかと思います。例えばどこかのサイトでFirefox紹介文を読んで、便利そうだと思ったから使ってみようとしたのでしょう。ですが同時に、同じように紹介文を読んで便利そうだとは思いつつ、設定が面倒そうで諦めた人もいる筈です。しかしこんなソフトがあって 紹介者が自分の環境の「インストーラ」を公開してくれれば、簡単にその「便利そうだと思った」環境を手に入れる事ができるようになるのです。

 まぁ、Firefoxの構造上 こんなものが実現可能なのかまったく考えもせずに書いているのでいろいろ無理かもしれませんが。

05月6日(日)

許斐先生が神へと近付いている件について

 準決勝にて、ズラに対抗して覆面被ってテニスをしたりテニスの試合だというのに数十メートルも吹っ飛んだりダブルスの試合だというのにシングルスになって 一人はもうラケットすら持つのをやめてしまったり 、 準主人公だと思われたキャラがただの噛ませ犬だったりと、あまりにも凄まじい展開が続いた「テニスの王子様」。個人的には最後のが一番ビックリでした。

 この調子では決勝戦ではかつて私がネタとして画いたように「時を止める能力」とかが出てくる展開になってもおかしくない、というか寧ろそんな展開になったら「許斐先生もとうとう我々の想像の斜め上を行けなくなったか…」と逆にガッカリしそうな勢いです。いっそ もうこのまま焼肉漫画になるくらいの展開でないと驚かないぞ!…などと思っていても、きっと許斐先生はそんな我々の想像の斜め上というか寧ろもう虚数時空へと突入する展開を持ってくるに違いありません。決勝戦に関して少なくとも言える事は、おそらく確実に死者が出るという事です…作品内の話ではありません、リアルで笑い死にする人が出るに違いありません。果たしてそのとき許斐先生には業務上過失致死が適応されるのでしょうか。

 

 ところで皆様はお気付きでしょうか、許斐先生が『神』へと近付いているのを?…神と言っても、2ちゃんねるなどでしばしば使われる「凄い人」という程度の意味の安っぽい『神』ではありません。ヤハウェやイザナギ・イザナミに代表されるような「世界を創る者」としての『神』です。

 許斐先生に限らず、漫画家、小説家、その他いわゆる「クリエイター」と呼ばれる人間は、少なからず『神』としての性質を持ち合わせています。「『作品世界』を創る者」であるからです。作品世界に対し『神』である「クリエイター」は、理論上はその作品世界を自由に創る事ができます。

 しかし現実には、作品世界を本当の意味で「自由に」創る事はまず不可能です。商業作品の場合 編集者など止める存在がいるというのも一つの理由ですが、仮に同人やウェブサイトなど「編集者」のいない環境で作る場合でもそれは不可能でしょう。何故ならそこには常に多くの「縛り」があるからです。

 例えば、ファンタジー世界の住人が日本語を喋っているのは本来不自然です。しかし日本人を対象に作品を作る以上は、住人には日本語を話させねばなりません。それが一つの「縛り」です。(「別世界の言葉を日本語に訳しているだけだ」だって?何故万能の存在たる神がそんな言い訳をしなければならないんだね?) 同様に、この世界とはまったく異なるファンタジー世界であるなら、「挨拶」が『自分の臓物を取り出して見せる』という行為である世界でもいい筈です。しかしそんな作品世界を創るクリエイターはいません。そんな作品は世間に受け入れられないからです。(ちなみにここに最低一人受け入れる人間がいるので誰か創ってくれませんか。あと朝の挨拶は大腸で昼は肝臓とかそういうマナーがあります。)

 どんな作品であっても、読者の知識・常識にある程度符合した作品世界を作ってやらなければなりません。あまりにも「自由に」創られた作品世界は誰にも受け入れられない…我々は誰しもその事に気付いているが故に、あまりにもこの世界から乖離した作品世界を創る事は出来ないのです。

 特にそうした「縛り」が顕著な作品ジャンルこそ、現実を舞台にした作品、その中でも『スポーツ漫画』こそが最も縛りの強いジャンルではないでしょうか。「現実」という舞台設定による法律・常識その他もろもろの縛りに加え、スポーツによる「ルール」という縛りが加わるわけで、ファンタジー漫画家とスポーツ漫画家の神度の違いは 唯一神と多神教における神くらい違うと言ってよいでしょう。もしくはロブ・ハルフォードとティム・"リッパー"・オーウェンズくらい。

 許斐先生は、かつては様々な縛りが存在する「スポーツ漫画」を画いていたレベルの低い神でした。それが今ではどうでしょう。「起き上がった方が勝ち」「ボールが半分になったら引き分け」許斐先生は着実に「テニスのルール」という縛りを破りつつあります。 「焼肉が額に乗ったら脱落」まったくもって意味が解りません。テニスだけでなく常識という縛りすら楽々と打ち破って見せました。最早テニスの王子様の作品世界は我々の世界と一見似てはいるものの、実際にはまったく別物である、焼肉が額に乗ったら脱落する世界なのです。これほどまでに独自の作品世界を構築し神へと近付いた作品は、私には「とんち番長」くらいしか思いつきません。

 決勝戦は、間違い無くルール無用の残虐ファイトと化すでしょう。テニスのルールではありません。あらゆる物理的・生物学的ルールが無用と化すのです。しかもそこには解説はきっとありません。あったとしたら おそらくその解説も理解不能でしょう。例えば「菊丸は分身しているのではなく実はアメーバのように分裂していた」とか「『才気煥発の極み』は精神だけを宇宙の外側に飛ばしアカシックレコードにアクセスしていた」などという解説は、納得できるかはともかく我々でも理解はできてしまいます。そんなもんじゃない。「解説」という行為は、一見理解不可能な現象を我々の知る世界のルールに落とす行為です。しかし落とした先は我々の知るこの世界とはまったく別物の作品世界のルールなのです。

 以前許斐先生スタンド使い説を発表しましたが、そのスタンド能力とは「天国へ行く」というプッチ神父のスタンド能力どころではない、「自らを神と化す」という究極のスタンド能力だったに違いありません。『か…「神」だ! や…やつは「神」になったんだ…!我われ…人間は か…「神」にだけは勝てない!服従しかないんだ!』…そんなわけで誰か許斐先生を宇宙空間に追放して下さい。

05月16日(水)

[またしても許斐剛]考察:(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐

 またテニプリの話で申し訳無いですが、あの漫画には語る事が多すぎるのだから仕方ありません。テニプリは日本の至宝ですよ、これほど話題を提供してくれる漫画はそうはありません。経済学者はコミックスやアニメ等の直接的なものだけではなく こうした間接的な効果まで含めたテニプリの経済効果を算出すべきです。最近の学会では、日本の近年の景気回復の十数%はテニプリによる経済効果との説が有力です。

 ところで本題に入る前に今週(および最近)のテニヌの王子様感想。えーと…もしかして許斐先生ってテニスの覇王様読んでる?そして対抗意識燃やしてる?

 ああっ、証拠が揃いすぎている!ネット上のパロディにまで対抗するなんて大人気無いですよ許斐先生ッ!

 

 さて本題。最近の焼肉の王子様があまりにインパクトありすぎてすっかり忘れてしまっていましたが、四天宝寺の金太郎が最後に放った(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐」。あの銀様が「あれはワシの百八式より危険だぁ――!!」などと言うものだから、地球を一周する程の力があると妄想されている百八式より危険とはどれ程の威力なのかと誰もが思ったものの、結果を見ればボールが半分になっただけ。「大山鳴動してネズミ一匹」という諺はこういう時に使うのだなぁ、と思いました。もしかしたら数年後にはこの諺の代わりに「見開き使いまくってボール半分」という諺が使われるようになるかもしれません。

 それはさておき、結果としてボールを半分にしただけの技が「百八式より危険」とはどういうことでしょうか。確かにあの無意味なまでの見開きの多用は漫画的に非常に危険なレベルに達していましたが、そういうメタ的な意味での危険ではないでしょう。「危険」とはあくまでも物理的な意味での危険である筈です。

 それはつまり逆に考えると、「百八式波動球はボールを半分にする技以下のチンケな威力しかない」という事でしょうか?…否!それはスタート地点を間違えた発想です。「百八式波動球は地球を一周させるだけの威力がある」という点をスタートに我々は思考を始めなければなりません。百八式波動球には確かに地球一周させるだけの威力があり、そして(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐はそれ以上の威力を持つ危険な技である筈なのです。

 さて、まず注目すべきは「ボールが綺麗に両断されている」という点です。カフェオレ・ライターのマルコさんが「ボールの半分のところを、ラケットを水平にして打ち抜いた」という推測をされていますが、残念ながらこの推測は (1)ボールが平面的に両断されている(この推測が正しいならば、ラケットのカーブに沿った切り口になっている筈)、(2)両断されたボールがどちらも綺麗な形を保っている(同、金太郎側のボールは潰れていなければならない)という2点から間違っていると思われます。

 では私の結論を言いましょう。金太郎の「(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐」は、凄まじいエネルギーをラケットに載せて一気に振り抜く事で『時空を斬り裂く』能力ではないでしょうか。…話がテニスから離れすぎているって?いやいや考えてみるとこの能力は、テニスというゲームのルールに沿って考えた時に、波動球も手塚ゾーンも その他あらゆる既存のテニプリの技では対抗できない恐ろしい意味を持っているのです。

 テニスというスポーツは、要はボールを相手コートに打ち返し続けるゲームです。つまり積極的に勝つためには、(1)(コース的に或いは威力的に)打つ事すらできないような球を打つ、(2)打つことは簡単にできるが正しく返せないような球を打つ、の2通りの方法があります。しかし今までテニプリでは、(1)の方法ばかりが重視されてきました。「手塚ゾーン」などがその良い例で、「上手く回転をかけて、常に相手の打ったボールが自分の元へ戻ってくる(広義の(1))」くらいなら「上手く回転をかけて、常に相手の打ったボールがアウトになる(2)」ようにした方が手っ取り早いでしょう。しかし、(2)はどうしても地味になりがちなので、派手さが重視される漫画の世界では(1)の方が使いやすいのでしょう。

 「(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐」は、敢えてそうした(1)重視の流れに反し、(2)を徹底的に重視した技です。つまり時空を切り裂く事で、以下のような結果を狙っているのではないでしょうか。


時空を斬り裂いておいて やってる事が地味すぎるとか言わないの!

 両コート間で時空が分断されている以上、ボールはどう足掻いても相手コートに到達する事はできません。ある意味テニスというゲームを根底から覆す技であり、テニスにおけるイージスの盾と言えるでしょう。どれほどの強力なパワーの一撃をもってしても、たとえ無我の境地や樺地のコピー能力をもってしても、ひとたびこの技が発動すれば 相手コートへと打ち返すのは物理的に不可能になるのです。

 そしてこの技の危険な所以は、恐らくまだ金太郎がこの技を上手く制御できないために、しばしば下図のような事が起きていた為ではないでしょうか。


超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐・失敗図

 なるほど、これは確かに百八式波動球より危険で、「みんな伏せやーっ!!」という注意勧告も頷けます。

 さて、ではリョーマはどうやってこの技を打ち破ったのでしょうか?それはボールが半分になっている事から簡単に分かります。

断末魔の一瞬!
リョーマの精神内に潜む爆発力がとてつもない冒険を産んだ!

普通のテニスプレーヤーはおいつめられボールが迫ってくれば逃げようとばかり考える
だが リョーマは違った!逆に!

金太郎「! なんだ こいつゥ ま…まさか!」

リョーマはなんと さらに!前へと飛び出した!

南次郎『
なにリョーマ?カルピンがおもちゃの鉄砲をくわえてはなさない?
リョーマ それは無理矢理引き離そうとするからだよ
逆に考えるんだ 「あげちゃってもいいさ」と考えるんだ


ジョースター卿 南次郎の教え

 上図の通り リョーマは敢えて前に出る事で、時空断層が発生する前にボールを打ち返そうとしたのです。しかし残念ながら半歩及ばず、ボールが半分しか返せていない段階で時空断層が発生してしまった。そのために、ボールは綺麗に両断され、なおかつ両コートに片方ずつ落ちたのです。

 

 以上の考察により、金太郎の(スーパー)ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐は確かに危険な技であり、百八式波動球を貶めるものではない事が確認できました。これで全国一億人の銀師範ファンが安心して眠れる事でしょう。

武井先生はどうなるのだろう

 今更ですがユンボル買いました。というか発売翌日くらいに本屋に行ったのに、まったく置いていなかったので発売された事に気付かずネウロとSBRだけ買って帰ってしまいました。その後ネットで発売に気付いて探したもののなかなか見つからず。

 ところで、ユンボルが打ち切られた事に関して「ジャンプでなければ…」「他誌で再開を!」という意見を目にします。確かに最近、ジャンプでは正直人気があまりなかった(一部からは熱狂的にあったものの、読者の大多数である子供に受けなかった)ものの 他誌に移って成功を収めている漫画があります。例えばウルトラジャンプに移った「スティール・ボール・ラン」。例えばヤングジャンプに移った「べしゃり暮らし」。さらに漫画レベルではなく漫画家レベルで見れば、少年誌から青年誌に移って成功した漫画家は数え切れないほどいます。そう考えるとユンボルも同様に他誌でならば成功する、という意見は一見正しいように思えます。

 …が、私としてはユンボルが他誌に移って再開・或いは武井先生の新連載が他誌で始まったとしても、正直 先人のような成功はしないのではないかと思ってしまいます。

 何故かと言うと、SBRやべしゃり暮らしは内容や絵柄が(読者の世代交代などによって)すっかり青年誌向きになってしまったが故に、少年誌では人気を得られず 青年誌で成功したと思うのですが、武井先生の作風は 初連載「仏ゾーン」の頃から一貫して、「少年誌向け要素と青年誌向け要素が『奇妙に』交じり合っている」という印象を受けるためです。それはある意味では 他の作家には真似できない独自性があるという事であり、そしてそれが一部の人達に熱狂的に愛される理由であるのでしょうが、しかし少年誌でも青年誌でも大多数の読者には好かれない可能性が高いという事でもあります。初期「シャーマンキング」は比較的少年誌向け要素が高かった印象があり それが長期連載に繋がったのでしょうが、後半はどんどん内容が濃くなり少年誌向けでなくなり 同時に人気も落ちてしまいました。青年誌に移ったところで、結局形は違えど似たような結果となってしまうのではないかと私には思えてしまうのです。

 …と、ここまで書いたところで、武井先生の作風が読者層に実にマッチする雑誌がある事に気付きました。ついつい今までは集英社系列のみで考えていたのがいけなかった…そこまで言えばわかるでしょう。そう、チャンピオンです。チャンピオンにユンボルが載っている姿を想像して下さい、一体そこに何の違和感があるでしょうか?そんなわけで秋田書店は全力で武井先生のヘッドハンティングを行いなさい。(命令)

05月22日(火)

べ、別にカレーの話じゃないんだからね!

 突然ですが皆様、カレーは好きですか?もちろん大好きですよね!…あ、嫌い?悪いけど帰ってくれますか。

 そんなわけで子供から大人までみんな大好きカレーライス。学校給食や食堂だけでなく、喫茶店などいろいろな場所で食べられるまさに国民食。かの「美味しんぼ」でも何度か扱われています。本格的なものを作るのは大変ですが、市販のルーを使えば家庭でも簡単に作れるのがいいですよね!

 …あれ、ところで上のカレーの特徴って何かに似ていませんか?…そう、

 

烈海王

 ツンデレです。

  • みんな大好き。
  • 漫画やアニメ、ゲームなどいろいろなメディアで登場。
  • 美味しんぼにも登場。
  • 本格的にツンデレになるのは難しいけれど、「べ、別に〜じゃないんだからね!」と言えば簡単にツンデレになれる。

 うむ、こうしてまとめてみればみるほどカレーとツンデレはソックリです。うっかり食堂でツンデレを注文してしまわないように皆様お気をつけ下さい。

 

 さて、そんなわけでカレーとツンデレは非常に似ている事が解りましたが、カレーとツンデレの共通点は上で挙げただけではありません。それは「レベル」の存在です。カレーに甘口・中辛・辛口があるように、ツンデレにもツンとデレの割合によるレベルの違いがあるのです。

 一口にカレー好きと言っても、甘めのカレーが好きな人もいれば、汗ダクにならなければ食べられないような激辛カレーが好きな人もいます。甘口カレーが大好きな人に激辛カレーを食べさせた日には怒り狂って殺人事件にまで発展する可能性があります。同様に、すぐにデレの一面を見せるツンデレが好きな人もいれば、最後の最後でようやくデレの一面を見せるツンデレが好きな人もいます。前者が大好きな人に後者のツンデレを見せた日には怒り狂って殺人事件にまで発展する可能性があります。ツンデレ殺人事件です。

 残念ながら、カレーには辛さのレベルを客観的・絶対的に表す習慣は確立していません。多くの市販のカレールーには甘口・中辛・辛口の表記がありますが、カレーの種類によって同じ「甘口」でも辛さに違いがあり、ものによってはカレーAの「甘口」がカレーBの「辛口」に相当する場合があります。しかしそれはまだ良い方で、食堂等で出されるカレーにはそうした辛さレベルすら書かれていない場合が殆どです。カレーが大好きなのに思った以上に辛かったせいで残してしまった…そんな被害が全国的に後を絶ちません。ツンデレをカレーの二の舞にしてはなりません。客観的・絶対的なツンデレレベルの表記を確立しようではないですか。

 wikipediaによれば、『ツンツンデレ』という「ツンの部分が非常に多く、なかなかデレの部分が見れないこと」を表す語があるようですし、他にも さらにツンの数を増やした表記を何度か目にしましたが、残念ながらこれらは見たところ主観的な定義の域を出ていないようです。しかしこうした『ツン』と『デレ』の数を変えることでツンデレの強さを表すというのは直感的で判りやすい表記法と思われます。ですので、この『ツン』と『デレ』の数を「ツンの面とデレの面の時間的割合比」という絶対的な定義によって調整するという規格はいかがでしょうか。(CIPM - 国際度量衡委員会に近日申請予定)

 みんな大好き「重機人間ユンボル」のリベッタ姫は、9話目にして遂にデレの一面を見せたので「ツンツンツンツンツンツンツンツンデレ」です。ただこれでは長くて言いにくいので、「103」を「キロ」と呼ぶように、「ツン*8」を「リベッタ」と定義しましょう。(CIPM - 国際度量衡委員会に近日申請予定)例えばリベッタ姫よりツン度が2高いと「ツンツンリベッタデレ」となります。また、測定したわけではありませんが海原雄山は「リベッタリベッタリベッタリベッタデレ」くらいでしょう。これも長いので「リベッタ*4」を「雄山」と定義しましょう。これは数値で言うと兆くらいに相当し、日常生活においてはこれくらいの単位があれば充分でしょう。

 逆にデレが大きい場合についてですが、これはあまり考えなくてもよいでしょう。カレーの「甘口」だって辛くはあり決して本当に「甘い」わけではないように、本当にデレばかりのツンデレは最早ツンデレではないからです。日常生活において使われる小数はせいぜい小数点以下第三位くらいでしょうから、ツンデレも「ツンデレデレデレ」くらいまでで充分でしょう。

 

 また、前述の通り「客観的な表記」は レベルの差による悲劇を解消してくれますが、「客観的な表記」の効力はそれだけではありません。それは「挑戦・競争」です。「凄い辛いカレーを完食した!」「いや、私の方がもっと辛いカレーを完食した!」などと、主観だけでは記録への挑戦や人との競争はできません。「辛さ○倍のカレーを食べた」と 客観的な表記があって初めて挑戦・競争が可能になるのです。人類の進歩は挑戦・競争によって作られてきたと言っても過言ではありません。つまりツンデレの客観的な表記はより高いレベルのツンデレへの挑戦・競争を呼び、人類の更なる進歩の礎となるのです。

 終末的カルト宗教の跋扈…自殺者の増加…今、世界は閉塞感に包まれ始めています。かつての急速に科学・社会が発達した時代が過ぎた今、人類の進歩に翳りが見え始めているのではないでしょうか。ツンデレの客観的表記は人類の進歩を齎しこの閉塞感から抜け出す一歩となるでしょう。…かのアームストロング船長の言葉を思い出して下さい。

 これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩であるってわけじゃないんだからね!

05月31日(木)

敢えてジョジョ未読者へ「ディアボロの大冒険」を紹介してみる

 特にここで話題にはしませんでしたが、当然ながら話題のゲーム「ディアボロの大冒険」やっています。だって話題にしてしまったら「ああ、全然サイト更新しないのは忙しいわけじゃなくてディアボロに嵌っているからだなこの野郎!」とか思われてしまうかもしれないじゃないですか。違うんですよ。サイト更新しないのは忙しい上にディアボロに嵌っているからなんですよ。

 ところでジョジョ愛読者ならば、このゲームを見た瞬間 ディアボロなだけにキング・クリムゾンを発動し気付いたらプレイしていた事はコーラを飲んだらゲップが出るっていうくらい確実な事と思われますが、しかしジョジョ未読者はどうでしょう。このゲームはジョジョゲーとしてあまりに素晴らしい完成度を持つ事が様々なサイトで紹介されていますが、逆にそれによって「ジョジョゲーとして素晴らしい → ジョジョ好き以外には面白くない」と勘違いされている人もいるのではないでしょうか。

 確かに、ジョジョ未読者には一部不利な点もある事は否めません。例えばジョジョ好きならば「オレンジ」というアイテムを見た瞬間 それが危険である事が言葉でなく心で理解できるわけですが、ジョジョ未読者の場合「おいしそうなオレンジだ」などと説明されるアイテムが危険だなどと思うでしょうか?食べようとした途端爆発したら、意味が解らず「たまたまオレンジが爆弾であっただけで、全てのアイテムが一定確率で爆弾なのかもしれない」などと勘違いしてしまい、全てのアイテムをおっかなびっくり使うハメになるかもしれません。他にもDISCの共鳴や特殊合成なども、ジョジョを読んでいないと偶然(か、攻略wiki閲覧)以外で発見する事はできないでしょう。

 しかし、それは繰り返しプレーするなり攻略サイトを見るなりすれば解決できる問題です。「ディアボロの大冒険」は そのような些細な問題でプレーを躊躇うにはあまりに惜しい良ゲーです。多くのローグライクゲームに手を出した身として言わせていただきますと、ジョジョゲーではなく純粋にローグライクゲームの一つとして見ても、最早ローグライクの『「帝王」はこのディアボロだ!』なのです。

 そんなわけで、敢えてジョジョ未読者に向けて「ディアボロの大冒険」の素晴らしさを説いてみようと思います。(その割にジョジョネタが多いのは仕様です。)この文章でディアボロに手を出し その結果原作にも興味を持つ人が一人でも増える事を願っています。…問題は、このサイト閲覧者にジョジョ未読者がいるのかという事ですが。

 

【「発動」というシステムが齎したゲーム性・戦略性の向上】

 というわけでいきなりですが、このゲームが他のローグライクゲームと一線を画すのは この「発動」というシステムであると思います。

 「発動」とは何かと言うと、非常に簡単に言えば「装備品」の「特殊能力」です。「他のローグライクゲームにもあるじゃないか」と思われるかもしれませんが、ディアボロの場合 全ての装備品に発動能力があるのが特徴です。この事により、他のローグライクと比べ ゲーム性・戦略性が著しく向上しているのです。

 まず一つ、「発動」によって一つのアイテムが複数の能力を持つことによる、実際のアイテム数を増やさずに実質的にアイテム数を増やす効果があります。

 基本的にアイテムを増やせば増やすほど戦略性は増しますが、同時にアイテムを覚えたり識別したりするのが面倒になってしまいます。しかも、普通単純にアイテムを増やすと上位互換可能なアイテムが大量に生まれてしまいます。例えばトルネコの大冒険(初代)において、最強の武器「正義のソロバン」を手に入れたら「こん棒」はもう持っている必要は殆ど無く、つまり長期的に見れば「こん棒」には使用価値が無いと言えます。このように、単純にアイテムを増やすだけでは使用価値の無いアイテムが増えるばかりで「アイテムを増やす事による戦略性向上効果」は薄くなってしまいます。

 しかし「発動」はこれらの問題を一気に解決してくれます。数値的には別の装備の方が強くとも、発動能力が便利で持っておきたい装備品の多い事。本当に使えない装備品など殆どありません。まさに『どんな者だろうと人にはそれぞれその個性にあった適材適所がある スタンドも同様「強い」「弱い」の概念はない』。

 そしてもう一つ、「発動」には「足元に罠を仕掛ける」という能力のものが幾つもありますが、この「自分で仕掛ける罠」の存在による戦術性の向上です。「Nethack」にも自分で仕掛ける罠はありましたが、重い上使い道があまり無いものでした。ディアボロは「罠」を使い物になるレベルにした初のローグライクではないでしょうか。

 ローグライクに限らず、多くのゲームの「戦術性」は「相手に合わせて行動を決める」という『受動的な戦術性』になりがちです。対して「罠」は、自分から積極的に行動を起こす『能動的な戦術性』です。受動的な戦術性もそれはそれで楽しいものですが、能動的な戦術性の楽しさはまた別のものです。敵がうまく罠に引っかかってくれた時には、思わず「かかったなアホが!」とか「相手が勝ち誇ったときそいつはすでに敗北している」とか「だがそれは巧妙な罠だった」などと恍惚の言葉を漏らしてしまう事でしょう。

 

【ゲームバランス】

 「発動」によるゲーム性・戦略性の向上について理屈っぽく書いてみましたが、もちろんそれだけがあのゲームの素晴らしさではありません。

 「ローグライク」というシステムが面白いゲームになり得る能力を持っている事は多くの良ローグライクゲームが証明していますが、しかしローグライクであれば面白いゲームになるというものではありません。既存のシステムを利用したゲームが面白くなるか否かは、一番には「ゲームバランス」にかかっていると言えましょう。非常に斬新なゲームの場合ゲームバランスが崩壊していても面白い事はありますが、使い古されたシステムの場合 適切なゲームバランス無しには面白いゲームにはなり得ません。

 「ディアボロの大冒険」のゲームバランスは実に適切です。そしてゲームバランスを適切に保つ事は、原作のあるゲームにおいては本来非常に難しい事です。原作における反則に近いような強力な能力をそのままゲームに持ち込めばゲームバランスが崩れる事は目に見えていますし、かといってゲームバランスの調整の為に能力を大きく変えては原作ファンは納得しません。このようなゲーム性と原作再現性の綱渡りをこのゲームは見事に渡りきっています。

 

【結論】

 「遊んでみる」…そんな言葉は使う必要がねーんだ
 なぜならオレやオレたちの仲間はその言葉を頭の中に思い浮かべた時には!
 実際にプレーをしちまって もうすでに天国入りまで済ませているからだッ!
 オマエもそうなるよなァ〜〜〜〜〜〜オレたちの仲間なら…わかるか?オレの言ってる事… え?

 「クリアした」なら 使ってもいいッ!

 

【2007/06/16 追記】

 フリーソフト超激辛ゲームレビュー(どうでもいいですけどゲームレビューサイトなのにデスクトップドドドが紹介されてるのは何故ですか。)にてディアボロの大冒険のレビューが掲載されましたが、特にジョジョ未読者からあまり良い評価を受けていないようで。

 上で書いた文章の主題は「ジョジョ未読者でも慣れるまでやればローグライクゲームの頂点に立つ面白さとなる」というものですが、そもそも「慣れるまでやる」ための閾値が高いのは事実だと思います。特にレビューの為に仕方無く始めたような人では「慣れるまでやる」気にはなれないでしょう。

 未読者のうち二人が問題としている「単行本システム」ですが、例えばこれを「単行本を使用する時に、効果のあるDiscは色が変わる」ようにするだけでも だいぶ未読者の印象が変わると思うのですが、どうでしょうか。

 あとついでにもう一つ要望を挙げると、ジョイパッド使用時にスクリーンセーバーが起動してしまうのをなんとかしていただけないでしょうか。(参考:スクリーンセーバーとディスプレイの省電力設定を一時無効にするHSPプラグイン