『時間の経過』により 『2006年』の行きつく究極の所!
『暦』は一巡したッ!
『新しい年』だッ!人類は一つの終点に到着し「新年」を迎えたのだッ!
というわけで、新年ですね。
残念ながら新しいパンツが無いので 噴上裕也をブチのめした時の仗助の気分が味わえません。
今のジャンプで一番格好いいキャラは、間違い無く弄光センパイだと思います。
弄光センパイ テラカッコヨス
バカめ!時代は弄光センパイなのさ!! そんなわけで今度のコミケで弄光センパイオンリー本を出すつもりです。勿論嘘です。
そんな話はさておき、だいぶ前からテニスの王子様の内容が非現実的になっていると言われています。特に最近では球を受けた選手が十メートルも吹っ飛んだりと、能力バトル漫画さながらの表現のために 一層その流れが強くなっているように見受けられます。
しかし、本当に最近のテニプリの内容は非現実的なのでしょうか?漫画に一番大切なのはリアリティであると露伴先生もおっしゃっていましたが、漫画家はリアリティのある漫画を描く為に頻繁に取材休みを取っています。(HUNTER×HUNTERのグリードアイランド編は冨樫先生の絶え間ない取材の賜物です。)テニプリの場合テニス漫画なので、許斐先生は基本的にはテニスの現場へと取材に行っている筈です。(この間の「お笑いの王子様」の時は大阪へお笑いの取材に行ったと思われるので、必ずしもその限りではありませんが。)
つまり許斐先生は、少なくともテニプリ批判をする人の大多数よりはテニスに詳しい筈です。ですから、読者が勝手にテニプリを非現実と勘違いしているだけで、テニスとは実際にはああいうものなのかもしれません。
このような「読者の勝手な勘違い」によって漫画家が批判されたケースは今までにもあります。有名なものは「キン肉マン」での「重いものほど早く落ちる理論」です。一部の人はこれを「ゆで物理」などと言って馬鹿にしていますが、重いものほど早く落ちるというのは決して間違ってはいません。風を受ける面積が(ほぼ)変わらずに重さが増せば、空気抵抗の影響が減少し、その分わずかながら早く落ちるのです。勿論それは微々たる量ですが、そんな微々たる量ですら死活問題になるのが超人同士の高度な闘いというものなので 良い子は決して真似してはいけない、というゆでたまご先生の深遠なるメッセージなのです、多分。ちなみにキン肉マン読んだ事無いので適当に書いてます。
話をテニプリに戻します。「いや、自分はテニスをやっていたが あんな事は無かった」と反論される方もいるでしょう。ですが失礼を承知で申し上げるならば、どうせ市予選や県予選止まりだった人が殆どで、全国大会へ出たことがあるような人は滅多にいないでしょう。全国大会でのテニスを知らないのですから、「全国大会ではああなんだ」と言われた時 明確に否定できないのです。
すると今度は「プロの試合をテレビでやっているが、分身したり、球がありえない変化をしたり、十メートルも吹っ飛んだりしないじゃないか」と反論が来るでしょう。しかもテニプリの舞台は中学テニスであり、プロですら起きない事が中学レベルである筈が無い…果たしてそうでしょうか。逆に「これらは全て中学全国大会レベルではよくある事であって、プロでは低レベルすぎて使われない」のかもしれません。
例えば分身。テニプリにおいて分身は(一応)「凄い速さで二点間を動いているので分身しているように見える」という事になっています。(アニメ版では分身同士が抱き合ったりしていますが、あれは所詮アニメであり漫画とは別です。アニメスタッフ間の情報伝達が不充分だったために現場の人間が双子か何かと勘違いしたのでしょう。) 重要なのは「凄い速さで二点間を動いている」という点です。例えば分身を始めてから球を打つまでに二点間を平均で10往復しているとしましょう。その時間を往復などせず全て一方向へ向かう事に使えば、単純に考えれば分身なんかするよりも10倍の移動ができるのです。逆に言えば、分身によってカバーできる範囲の球なら、分身などしなければ1/10のエネルギーで返せるのです。ですからプロテニスプレーヤーはみんな分身できるのですが、効率を考えて分身しないでいるだけなのです。四天宝寺の小春・ユウジペアはお笑いによって相手を攪乱しましたが、菊丸は同様に分身によって相手を攪乱しているというだけの話で、分身自体には何の利点も無いのです。
異常な変化をする球もそうです。あんな変化 本当はプロテニスプレーヤーなら簡単にかけられるのです。ですがプロテニスプレーヤーの動体視力は凄いので どんな変化をしようが変化してから対応できる為、あのように複雑な動き(=結果としての変化量は少なくなる)よりも、一方向に大きな変化をするシンプルなカットの方がプロでは使われるのです。
また、十メートル吹っ飛ぶ描写に対し、二拾壱式波動球はマッハ1.5などの計算が行われていますが、それは勘違いに過ぎません。計算したのは「理系の後輩」との事ですが、私もそうですが理系の人間というやつは、数字に捕われ過ぎて重要な点が見えなくなりがちです。
通常の波動球ですら、ラケットを吹き飛ばしたり ガットを突き破ったりしています。ですので二拾壱式ともなると、下手に受ければラケットが折れるのは間違いありません。故にあれは、それを防ぐ為に「自分から後ろに飛んで衝撃を減らしている」のです。
参考文献:幸村誠「VINLAND SAGA」1巻(講談社)
私はテニスのルールに詳しくないので 試合中にラケットが折れた時に交換できるのかは知りませんが、仮に交換できるとしても 手持ちのラケットを全て折られたらそこで棄権せざるを得ないでしょう。テニスプレーヤーにとってラケットが折れる事は敗北を意味するのです。
そう言うと「自分から飛んだとすると、タカさんは十メートルもジャンプ出来るって事?」などと思われるかもしれませんが、よく見て下さい。
波動球を受けたタカさんの描写は、「吹っ飛んでいるが、背景が描かれていない/又は遠近感の判りにくい構図(例:左図)」か、「気付いたら観客席まで吹っ飛んでいる(例:右図)」かのどちらかです。つまり、どのように観客席まで移動したのか明確には示されていません。
また右図を見れば判るように、全身に大量の擦り傷が出来ています。ただ吹っ飛んだだけでこれほどの擦り傷が、しかも体の前面にまで出来るものでしょうか?
ここから導き出せる答えは、「タカさんはノーバウンドであそこまで吹っ飛んでいるわけではなく、自分から後ろに飛んだ後、さらに少しずつ衝撃を吸収すべく 転がっている」という事です。まさか人間がノーバウンドであそこまで吹っ飛ぶわけないじゃないですか!常識的に考えましょうよ!
…このように、読者がテニスについて無知すぎるだけであり、テニスの王子様は非現実的でなどなく、許斐先生の日々の取材によって描かれる超現実的テニス漫画である可能性は否定できないのです!
…とか書いても、どうせ次号では言い逃れできないくらい非現実な展開が待ってるんだろうなぁ…